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瑠璃の島 (日本テレビ系土曜21:00〜21:54)
製作著作/日本テレビ
制作協力/ケイファクトリー
プロデュース/戸田一也、次屋尚、国本雅広
原作/森口豁『子乞い〜沖縄・孤島の歳月』
脚本/森下佳子(1)、寺田敏雄(2)、森下直(3、6、8、9)、武田有起(4、5、7、10)
演出/猪股隆一(1、4、5、8、10)、池田健司(2、3、7、9)、国本雅広(6)
音楽/羽毛田丈史
主題歌/『ここにしか咲かない花』コブクロ
出演/藤沢瑠璃…成海璃子、川島達也…竹野内豊、島袋さなえ…小西真奈美、米盛照明…小日向文世、斉藤茂…賀集利樹、松隈奈津美…西山繭子、金子昇、美穂子…さくら、吉田妙子、浅利香津代、純名りさ、高杉亘、筒井真理子、永井杏、鈴木一功、小林麻子、内田流果、本田清澄、中嶋美月…井川遥、藤沢直…西田尚美、小浜学…岸部一徳、新垣治衛…平泉成、松隈浩二…勝村政信、宮園壮平…塩見三省、新垣佳枝…市毛良枝、仲間恵…倍賞美津子、仲間勇造…緒形拳
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第8回(6/4放送)
☆☆★
 照明(小日向文世)亡き後も島に残った照明の娘・いずみ(永井杏)と、そんないずみを里子にと考える子供に恵まれない浩二(勝村政信)と奈津美(西山繭子)の夫婦。暁(内田流果)が治衛(平泉成)の隠し子だったことを知って衝動的に島を出るも、結局は何から逃げてきたのかを迷い、30年間考え続けた夕飯のおかずのことをふと考えてしまう佳枝(市毛良枝)と、大決心の末の駆け落ちも、結局は佳枝の本心に笑顔を送るしかない壮平(塩見三省)と、さまざまな人の思いが交錯する展開はこのドラマにふさわしいと思えるし、ここ数回の煮え切らない感じよりも数段好ましい印象を持った。
 ただ、第3回以前の言葉以上の何がしかを感じさせてくれるような雰囲気はもはやない。ここまで台詞で全部語られちゃうと、そういった興趣とはもはや対極を目指しているようにも思えるが。
 フリージャーナリストの野々村(高杉亘)の存在で問題提起する社会派ぶりももっとうまくやってほしかった気もするが、それでも野々村の問いに対して決然と心のうちを語る瑠璃(成海璃子)はやはり輝いて見える。娘・貴子(純名りさ)の帰郷を機会に、勇造(緒形拳)との関係性が揺らいだりするのかとも思ったが、そういう危うさとは遠い感じだった。瑠璃の成長こそを軸に描いてほしかった気もするが。
 自称・川島(竹野内豊)をどういう扱いにするのか気になっていただけに、もはや島の一員と勇造から声をかけられた流れで野々村につかみかかっていく場面は、直後警察に拘束される展開にギリギリのリアリティを与えていたかもしれない。自称・川島の存在は瑠璃との関係性も含めて効いているも、その背負っている過去がこのドラマの方向性に合致しているかどうかは、ここまでのところ微妙な感じだ。(麻生結一)


第7回(5/28放送)
☆☆★
 片手で終わってしまう「瑠璃ちゃん」と呼んでくれる人の一人だった照明(小日向文世)が逝く。昨日まで元気で笑っていた人が突然死んでしまうのは、やはりあまりにも悲しい。このドラマ中でも愛すべきキャラクターだった照明がこれでいなくなってしまうのは残念ではあるが、死までの経過はそれがいかにも段取りのための段取りであえるように感じられ、どうしてこういう感動的風であろうとするのかがよくわからなかった。少なくとも、第3話あたりまでのテイストで貫き通すならば、さりげない時間が進み行く中で照明の死がポツンと存在するだけで、自然と目頭が熱くなったことだろう。
 豊年祭の準備話にフリージャーナリストの野々村(高杉亘)がいかにもいかがわしく絡むあたりは、次回に持ち越された模様。それにしても、野々村の登場シーンとそれを煽る音楽は、まるで火曜サスペンスを見ているようだった。自治会長の治衛(平泉成)の家に里子に来た暁(内田流果)は、実際は治衛がよそで生ませた子供であったことが明るみになったことをきっかけとして、妻・佳枝(市毛良枝)と副自治会長の壮平(塩見三省)が駆け落ちの相談をはじめるあたりの何とも唐突な。展開の一つとしてはありだと思うけれど、そこには何の伏線もなかったし、何よりも壮平のキャラクターが変わりすぎでしょ。
 瑠璃(成海璃子)にとっても川島(竹野内豊)にとっても初めての台風の夜、照明がずぶ濡れに悪戦苦闘しながら事故で死んでしまう。ここで困ったのは、照明が何に悪戦苦闘しているのか、さっぱりわからなかったこと。このあたりは第4話で子供たちが穴に落ちてしまうクライマックスが暗すぎて何のことやらさっぱりわからなかったあたりと一事が万事である。子ヤギの命を助けようとしていたのはわかるとしても、祭りの道具を守ろうとしているあたりは後から言われてようやくわかった。こちらの想像力が働かないのが悪いだけかもしれないが、こういう何だかよくわからないシーンをクライマックスに持ってくるのはやはり興趣に欠けると言わざるを得ない。
 それにしても、瑠璃はいつからサブキャラになったの?瑠璃の成長こそを見たいのに、瑠璃はすでに成長しきっているようにも見えるし。成海璃子の存在感は依然として傑出してるのだが。(麻生結一)


第6回(5/21放送)
☆☆★
 脚本家によってまったく違ったタッチのドラマになってしまうのは困りものだけれど、どうしても番外編のようになってしまう照明(小日向文世)といずみ(永井杏)の話を(鳩海島が舞台じゃないし)、一切たくまずに真正面から描いたあたりは悪くなかったと思う。警察とのかかわりで川島(竹野内豊)の正体をじらせるサスペンス調はどうにも飽きてきたけれど。(麻生結一)


第5回(5/14放送)
☆☆★
 校長(岸部一徳)がかけっこに順位をつけない最近の風潮をさなえ(小西真奈美)に問うも、児童が一人の鳩海島では必然的に瑠璃(成海璃子)に競い合うことから学ぶことは教えられない。確かにそれは教えられないが、この島では大人から別のことが学べるときれいにつなげて、大人の登場人物たちにスポットを当てていた第5回。
 メインになっていたのは、美月(井川遥)の妊娠とその事実を受け入れられない茂(賀集利樹)の逃げ腰ぶりで、そこから派生して奈津美(西山繭子)の過去にも少し触れられる。平行ストーリーは娘のいっちゃん(永井杏)探しのために東京を訪れた照明(小日向文世)の受難の数々。元妻(筒井真理子)には拒絶され、禁酒を破ってベロンベロンに酔っぱらった挙句、よからぬ若者たちに殴られちゃうとは、まったくドラマの世界の都会は怖いです。
 美月と茂のドラマティックなハッピーエンドぶりはクサイ青春ドラマでも見せられている感じで感心しない。なくした指輪も海が透明だからすぐに見つかるのはそういうものかと納得するようにつとめたが。
 前回分で治衛(平泉成)と壮平(塩見三省)の存在の違和感について触れたが、治衛は瑠璃の三線の師匠に就任して、突然いい人になる。このエピソード自体はむしろいいのだけれど、この展開の唐突さはほぼキャラ換えに等しい?!
 自称・川島(竹野内豊)が髪を切るシーンがこのドラマの儀式になりつつある。今回切ってもらったのはもちろん美月で、そのしみじみとしたタッチに心惹かれる。このあともいろんな人が川島に髪を切ってもらうんでしょうね。そういういい部分こそを大切に描いてほしいと切に願うのも、繰り返しになるが第1回、および第3回あたりの素晴らしさが心に残るからで、この調子でボルテージが下がっていってしまうのはあまりにも惜しい気がする。(麻生結一)


第4回(5/7放送)
☆☆★
 悲しくて、いとおしくて、たまらなくなる真摯さは登場人物レベルでは持続中だが、結局はいい話に終始した感をぬぐえなかったこの第4回は、第1回や第3回と比べるとドラマ的な余韻に乏しかった。共同学習という名目で那覇の小学生5人が鳩海島にやってくる。この一泊二日という短い時間の中で、さなえ(小西真奈美)が教師として成長する様が描かれていたが、よかったのは瑠璃(成海璃子)に何かとちょっかいを出す哲平(桜田通)にさなえが手を上げるエピソードあたりまで。
 さなえを困らせるために、脱走した哲平たちを瑠璃が追っていって、哲平と瑠璃が何かしらの穴に落ちて大変なことになるクライマックスは暗すぎて何のことやらさっぱりわからない状態にも困ったが、それ以上に哲平があっさりと瑠璃に謝ってしまう展開が、これまでのこのドラマらしい丁重さからすると随分薄っぺらに思えた。
 勇造(緒形拳)と恵(倍賞美津子)が話にしっかりと絡んでこなかったのは、今回の大部分が学校を舞台としていただけに致し方ないところか。その代わりとして、含蓄ある「ある人」の言葉を引用する校長(岸部一徳)の飄々とした魅力が際立つことに。逆に、自治会長の治衛(平泉成)と自治副会長の壮平(塩見三省)のキャラクターがどうにも収まりが悪い。このドラマのテイストとは異質な気がするのだが。(麻生結一)


第3回(4/30放送)
☆☆☆
 瑠璃(成海璃子)の母親・直(西田尚美)が鳩海島にやってきたのは、できちゃった婚により籍を抜くことを瑠璃に直接告げるためだった。戸籍を掃除するためには養育費も払うし、口止め料だって惜しまないとさばけたことを言って勇造(緒形拳)を怒らせるも、手紙でも電話でもなく、一人で鳩海島にやってきた直にそれなりの思いがあったことは次第にわかってくる。
 その夜、一組の布団で一緒に眠る母と娘。母親の温もりを久々に感じた瑠璃は、

「何しに来たの?」

ともはや聞けなくなるが、翌朝親子終了を先んじて宣言されてしまう。人生をやり直したいとの直の絶叫に、捨てないでとすがりついた瑠璃は笑顔でさよならを言う。泣きながら走る瑠璃の、

「捨てたと思ってたら、捨て返された」

とのナレーションがあまりにも痛々しい。鳩海島のいつもの道々がいっそう優しく映る。島を去る直と見送る勇造の刺々しい会話も心に残る。瑠璃を捨てた直と拾った勇造の2人に共通するのは、瑠璃への愛情だったか。
 授業に身が入らない瑠璃に「私のお母さん」のタイトルでイジメのような作文を書かせるさなえ(小西真奈美)にも初めて変化が。「私のあの人」なるあまりにも悲しい母親の作文を読んで、そんな普通じゃない子供の瑠璃をどうすべきかとさなえは校長(岸部一徳)に問うが、瑠璃も普通の子供だと校長は答える。いっそう迷うさなえも、こうやって成長していくのだろう。
 照明(小日向文世)が冒頭、砂浜にはいつくばって叫んでいたのは、海亀の卵を守っていたからだったか。海亀の産卵シーンは『生きもの地球紀行』(今は『地球!ふしぎ大自然』か)のようになってズルい気もしたが、瑠璃と照明、そして川島(竹野内豊)が川の字になって見守る姿にはおかし味があったし、エピローグで海に向かって「がんばれ」と叫ぶ瑠璃のことを、海亀の赤ちゃんたちに言ってるのだと思うと校長に解説してみせるさなえの一言にも余韻があって、胸を締め付けられた。
 脚本家の豪華3頭立ては現状成功しているみたい。誠実な語り口が損なわれないことを祈りつつ、お薦めの作品であることを書き添えます。(麻生結一)


第2回(4/23放送)
☆☆★
 瑠璃(成海璃子)の態度に手を焼く担任のさなえ(小西真奈美)だが、瑠璃にしてみればさなえの態度にこそ都会育ちをバカにされている気分。泳げない瑠璃に対してさなえがそっけなく振舞うシーンがそのことに触れているが、ここでの2人の掛け合いにちょっとしたおかし味を感じさせるのは、さなえ自身も教師としてまだまだ未熟であることが垣間見えるからだろう。さなえは沖縄本島の出身で、教職員研修会のために去年初めて東京の千駄ヶ谷に行ったらしい。千駄ヶ谷でバカにされちゃうと、つらいものがあるんだけど。実際、千駄ヶ谷は渋谷区ですよ。酒の飲みすぎで脳みそが緩んだらしい照明(小日向文世)は、瑠璃の目には歌舞伎町にもよくいるらしいタイプに映る模様。
 自治会長の治衛(平泉成)と自治副会長の壮平(塩見三省)は、東京にいる大人と何ら変わらない無理解そのものという役回り。もっとおとなしく真面目でほがらかで純粋な子はいなかったのか、と勇造(緒形拳)が問い詰められる様を偶然見てしまう瑠璃が悲しい。イライラする気持ちのままに、奈津美(西山繭子)が店番をしている米盛売店でチョコレートを万引きしたり、学校で飼われている鴨を用務員の浩二(勝村政信)の目を盗んで逃がしたりと、小さく暴れる瑠璃。
 万引きの事実を知らされた勇造からお仕置きにと、瑠璃は夜中売店に閉じ込められるも、朝迎えに来た恵(倍賞美津子)はそこで腹痛に苦しむ瑠璃を発見する。ここの瑠璃は仮病だったわけだが、奈津美が言うように夜冷えて、最初は本当に腹痛だったのではないか。すぐによくなるも、恵が盲腸と騒いだものだから、またまた嘘の虫が騒いで。
 どっちにしてもヘリまで来ちゃったものだから、今さら引っ込みがつかなくなる瑠璃。この話があってこそ導かれるエピソードがいくつか。ヘリから望む鳩海島はやはり感動的だ。ヘリの座席で瑠璃に膝枕してやる恵に、待機していた救急隊員に深々と頭を下げる恵。そして仮病だったことを告げても盲腸でなかったことこそを安心する恵に、瑠璃はかつて経験したことのない優しさを感じたのだろう。緊急輸送の際の費用を思うと、あまり感傷にばかりは浸っていられないけれど。
 ドラマ的に石垣島に行かなければならなかった理由がもう一つ。勇造が石垣に通っていたのは施設の子を見つけてくるためではなく、瑠璃が壊したボートの修理代40万円を返済するために、島では得られない現金収入を工事現場で働いて稼ぐためだったのだ。本当の名前は高原らしい川島(竹野内豊)に島で現金収入を得るのは難しいと話していた冒頭がここにかかってくることに。
 ここまでやっちゃうとちょっといい話過ぎるんじゃないかとも思えてくるのだが、物語の直球ぶりを見せ方のうまさが随所に緩和していてドラマの誠実をひっそう引き立てている。勇造が自分に代わる子供を見つけるために石垣に通っているに違いないと思っていた瑠璃が、勇造の乗るボートを見送るシーンはとりわけ心に残った。手を振る勇造に思わず手を振ってこたえるも、すぐさまやめてしまう瑠璃。こういう台詞のないシーンにこそよりしみじみとさせられる。念願のハンバーガー屋さんで瑠璃が勇造に謝るシーンは、その一言の台詞でグッとくるところ。川の字の真ん中を心から感じるあたりもやはりホロッとくる。
 翌朝、鳩海島に戻った瑠璃たち3人を桟橋で迎えたのは何と母親の直(西田尚美)。次回はいっそうつらいことになるのだろうか。(麻生結一)


第1回(4/16放送)
☆☆☆
 この枠がいつから「土曜ドラマ」と銘打たれたのかは記憶にないし、この枠を「土曜ドラマ」であると認識したこともほとんどなかったのだが、この『瑠璃の島』の第1回を見ていたら、これは「土曜ドラマ」かもとちょっぴり思えてきた。ここで言っているイメージの「土曜ドラマ」とは、もちろん名作ドラマの宝庫だったNHKのそれだが、この作品にNHKの土曜ドラマを感じたのは、土曜ドラマの帝王(?!)緒形拳が全編にわたってその存在感を遺憾なく発揮していたからばかりではない。ドラマのテイスト自体は、旧土曜ドラマのようなシビアさよりもヒューマンさが優先されるあたりはいかにも日テレのドラマらしいのだけれど、その誠実な語り口には大いに惹きつけるものがあり、人間を描こうとしてる姿勢にこそ「土曜ドラマ」を感じたのかもしれない。
 舞台となるのは、周囲3.8km、人口49人、平均年齢63.5歳との説明が叙情的にされる八重山諸島の鳩海島。一人残っていた子供が引っ越すことになり、10年前になくなった中学校に引き続いて、小学校も廃校になるかもしれないとのエピソードから、すぐさま前クールに放送されていた『みんな昔は子供だった』を思い出したために、いきなり証文の出し遅れのような悪印象を持ったが、子供を鳩海島に連れて帰る指令を受けた勇造(緒形拳)が、東京に住んでいる孫を誘拐しようとするもすぐさま娘の貴子(純名りさ)に阻まれたり、里親になるべく施設を回ったりと孤軍奮闘する姿が面白かったために、次第に最初のイメージは消えていった(『みんな昔は子供だった』も第1回がピークだったことを思い出すと、嫌な予感もするのだが)。
 勇造が偶然出会った少女・瑠璃役を演じる成海璃子は、『電池が切れるまで』での大変な名演が忘れられないが、

>>レビュー:電池が切れるまで

『電池が切れるまで』のときと同様に、一切の過剰さはないのにキャラクターの思いがダイレクトに響いてくるあたりは大変素晴らしく、完成されたその演技スタイルには大いに驚かされる。母親である直(西田尚美)に捨てられた過去を持つ瑠璃が何事も客観的に見ようとするのに対して、それを主観的に見たらと問う勇造。このあたりの二人の掛け合いは絶妙だ。再び直に捨てられてもクールに振舞う瑠璃に対して涙を流す勇造もいいし、小学生がやってくることを聞いて万歳三唱となる島民の歓喜を電話で聞く瑠璃の、自分のために誰かが喜んでいる様を経験するのが初めてだったとのナレーションにも目頭が熱くなる。瑠璃の決心までの過程は端折られた印象もあったが、それはなるべく早く舞台を島に移したかったからだろうし、そのあたりの不満は謎の男・川島(竹野内豊)の存在で物語を分厚くするあたりでフォローされていた。
 それにしても、豪華な僻地だ。今クールを一巡してみるも、キャストの充実度ではこのドラマが一番だと思う。アワードでは演技部門にズラッとこのドラマのキャストが選ばれる可能性もありうるか。竹野内豊はベテラン男優と絡むドラマが多い印象があるが、今回は『人間の証明』に引き続いて緒形拳との共演。緒形拳と勇造の妻・恵役である倍賞美津子のツーショットは、たまらなく郷愁を誘うところ。けなげで孤独な11歳を演じて見せる瑠璃のことを、スナックのホステス風だと鋭く指摘する島袋(小西真奈美)の先生としての成長も、瑠璃のそれとともに描かれていく感じなのだろう。
 歓迎会で早々化けの皮がはがれ、無謀にもボートで島から脱走しようとする瑠璃だったが、防波堤にぶつかって海に投げ出されてしまう。そんな瑠璃を海の底から現われて助けた川島こそ、死のうとして海に沈んでいたとの展開はちょっと劇的過ぎるとも思えたが、そのあとの髪を切るシーンのしみじみとした感じと合わさると、程よくなった感じ。
 始業式の当日、駆けつけた直がいいお母さんに変貌しているところに違和感を感じていると、そのすべては瑠璃の夢だったことがわかる。基本的にあらゆる夢落ちには感心できないが、このお母さんの夢はやはりあまりにも「痛い夢」だ。そんな直とのツーショット写真を瑠璃が携帯から削除すると、海で落としたはずの帽子が流れ着いてくる。投げ捨てても投げ捨てても戻ってくる帽子を、捨てても捨てきれない気持ちに例えるあたりの余韻をかみ締めながら、このドラマの今後への期待感はいっそう高まった。(麻生結一)




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