新・京都迷宮案内

第7回(2007年2月22日放送)

☆☆
 自分の死期が分かったとき、人はなにをしたいと思うのだろう。今回の中津(鳥羽潤)のように自分がこの世に生きた証を残したいと考えるのだろうか。死の瞬間まで旨いものを食べて美味い酒を飲んで遊んで過ごしたいと考えてしまうのは、さもしい私くらいか。
 …いや、やはりそれだけではない。現に私も生きた証を残そうとしてもがき喘いでいるではないか。いい文章を書きたい、いい曲を作りたい、そう思って頑張っているのは生きた証を作ろうと無意識に思っているからなのだ、そう気づいた。やがて私にも死が訪れる。その時までにどれだけの痕跡を残せるか。中津の思いは自分の思いとほぼ同じだ。死が訪れるその日まで、私ももがき続けるのだろう。
 新・京都迷宮案内は、切り口が鋭い分、観る側にもそれなりの傷を残す。しかしそれは遅かれ早かれ一度は負ったほうがいい傷なのだ。(仲村英一郎)

第6回(2007年2月15日放送)

☆☆
 大洞(北村総一朗)は杉浦(橋爪功)のことをひねくれ者だといつも言う。つた子(野際陽子)もそうだ。誰一人杉浦の人格を誉める者はいない。確かに杉浦はひねくれ者だ。しかし、胡散臭さを感じ取る嗅覚は人一倍持っている。
 今回も、ボランティアで民間パトロールをやっている岡本(大地康雄)と出会い彼の物言いに胡散臭さを感じ取る。果たして事実は杉浦の思ったとおり、岡本は民間パトロールの盲点を突いたコソ泥であった。犯行現場を押さえようとして、杉浦はワナを仕掛ける。
 杉浦は人の善意というものをそもそも素直に受け入れない。真実だけを知りたいという新聞記者魂がそうさせるのか、もともとそういう性格なのかはよくわからないが。少なくともテレビドラマにありがちな善と悪がはっきりした構図はこのドラマにはない。手垢の言葉のついた言葉だが、人間臭いのだ。
 さて、今週のゲスト大地康雄はいかんなく、胡散臭さを発揮してくれた。こういう人ってたまにいるよな、と思った。彼は人の良い役が多いと思うが、この難しい役柄をうまく演じていた。地味ではあるが芯の通った演技をする役者だ。(仲村英一郎)

第5回(2007年2月8日放送)

☆☆
 杉浦(橋爪功)がふと見つけた新聞記事。それは真冬のキャンプ地での一酸化中毒事件だった。「事故」扱いされた記事に不信感を抱いた杉浦は、大洞(北村総一朗)を問い詰め、事故ではなく自殺だったこと、自殺した高校生の父であるデイリー京都の岸田記者(金田明夫)が府警に泣きついて事故死と処理してもらったことを知る。一方、岸田の息子の自殺からほどなく、保育園を狙ったボヤ騒ぎが頻発していた。岸田家は父母共働きで3人の子供たちを保育園に預けて育てていた。しかしそれは岸田が望む形の家庭ではなかった。息子の自殺を保育園に逆恨みした岸田が放火犯であることを杉浦が確信するまでに時間はかからなかった。
 子供にとっての親とは?を問う回だった。「親はなくとも子は育つ」とはよく言われるセリフだが、それは真実なのか。岸田は息子の死を父母不在で育った環境に根本的な原因があると責任を感じ、それはひいては自分のせいだと自分を追い詰め、放火犯にまでなってしまう。今回は家族の気持ちがひとつにまとまるような形で幕を閉じたが、実際そう簡単には解決しない、永遠の問題だ。
 それにしても記事を書かない記者として有名だった杉浦がいつの間にか、「京の散歩道」ですっかり業界の有名人になってしまっているという設定はひねくれていて良い。が、今回、岸田が保育園に放火するように演技したくだりはちょっと行き過ぎだった。ひねくれすぎても良くないのだ。(仲村英一郎)

第4回(2007年2月1日放送)

☆☆
 橘つた子(野際陽子)が珍しく2日間の休暇を取った。お忍び旅行に違いないと大洞(北村総一郎)をあおって楽しむ杉浦(橋爪功)。
 つた子の不在の間、高校教師・細川(平田満)が体罰を行なっているとの投書が数通、京都日報に届いていた。円谷遊軍長(小木茂光)からの取材をにべもなく断る杉浦。そこへつた子が戻ってきて、自分が取材をすると言い出す。学生たちに取材しても、細川が体罰を行ったという可能性が一向に見出せないつた子。本人に取材を敢行するが、それが学校に知られ細川は退職することに。好奇心にかられた杉浦はつた子と同行取材をする。そして体罰教師というのは濡れ衣で、教え子への恋心を抱いたこと、その教え子をひそかに想っていた男子学生が投書をしていたことがわかる。結局細川は病床の母の介護をするためもあり、故郷に帰る。京都駅にはその教え子が待っていた。二人は握手をして別れる。
 ストーリーとしてはこれまでより平板なものだった。つた子が休暇を取った理由が、「世の中も会社も自分を必要としていないのではないか」というありがちなものであったのが少し残念。新・京都迷宮案内らしく少しひねりの効いているひねくれた理由が欲しかった。(仲村英一郎)

第3回(2007年1月25日放送)

☆☆★
 今回のキーワードは「虹」。ラストは「なぜ虹は虫偏なんだろう?」という杉浦(橋爪功)のセリフで締めくくられた。犯罪被害者遺族の悲しみを独特の新・京都迷宮節で表現したひねくれたセリフはとても切ない一言であった。
 黒電話を買い物カートに乗せて街をさまよい「虹、どこですか?」とうつろに尋ねる老女・大北比佐子(長山藍子)に遭遇した杉浦。彼女に強い興味をもった杉浦は、いつものごとく好奇心から首を突っ込み始める。そして比佐子が13年前に起きた殺人事件の被害者の母であったことを知るのだった。
 「虹」と「黒電話」には非常に悲しい背景があった。犯罪被害者遺族としての、気持のやり場の無さ・犯人への絶えることのない憎しみ、それらがうまく描かれていた。犯罪被害者遺族とそれ以外の人々とは、決して分かり合えない関係なのだと痛烈に教えられた思いがする。周囲のものにとって時間は消しゴムで消すように簡単に消去できるが、遺族にとって時間は止まったままなのだ。そして遺族は犯人を「殺してやりたい」という気持さえもつことがある。悲しいことだが、それが現実なのかもしれない。凶悪な事件が頻発する昨今、人々の記憶に残るのは事件の後しばらくの間だけで、やがては記憶の隅に追いやられ、さらには忘れ去られてしまう。
 今回も視聴者に結論を委ねる形でドラマの幕は下りた。生活保護を頑なに拒む比佐子を杉浦が説得したかに見えたが、あっさりと比佐子は姿をくらます。そして杉浦の最後のセリフで終わる。
 あっけなくドラマが終わり、次回予告が放送され始めた頃、胸にさまざまな思いがこみ上げてきてしまう。
 なんと人をくったドラマであることか。ありきたりのドラマに飽きた視聴者には是非観てほしいドラマだ。(仲村英一郎)

第2回(2007年1月18日放送)

☆☆
 最近の京都迷宮案内シリーズは、起承転結の「結」の部分が視聴者に委ねている回が殆どであり、ある意味ドラマの定石を逸脱している。「起承転」までは視聴者に提示し、「結」に関しては敢えて触れない。しかし、その手法は京都迷宮案内シリーズに関しては、それが特色であり秀逸な特徴であろう。
 ふと振り返ってみたとき、自分の人生に明確な「起承転結」があったであろうか。「結」はいつでも現在進行形であり、それが「結」となるのは、自分が死んだ時なのではないか。それこそが現実なのだ。
 退職届をあっさり撤回し京都日報に戻る杉浦(橋爪功)、禁酒宣言をしても結局は舌の根も乾かぬうちに呑んでしまう杉浦。これらはいかにも現実的なエピソードであり、嫌になるほど人間臭く、身につまされる。その身につまされ具合が、あまりに生々しすぎると視聴者は敬遠してしまうのだろうが、ほどよい生々しさをこのドラマはキープしている。このドラマの人気の原因はそのあたりにあるのではないだろうか。
 さて、今回のキーワードは「自転車」であった。元大東新聞大阪社会部のカリスマ記者で現在はミニコミ誌の代表・山崎(中村敦夫)と元部下・林啓子(浅野ゆう子)は12年前、男女の関係があった。啓子は大阪府警の警部補に「女であること」を武器にスクープをもぎ取るのだが、それが原因で警部補を自殺に追い込んでしまう。責任を感じた啓子は山崎の元を離れ記者を辞める。そして山崎との間にできた良太(森永悠希)を女手一つで育てていた。ある時良太は、山崎に買い与えられた自転車で事故に遭い生死の境をさまよう。山崎はミニコミ誌で良太の事故を取り上げるが、そこには「自転車」の三文字は一切書かれておらず、救急車の過剰出場を問題視する内容が取り上げられているだけだった。社会正義を標榜する山崎には、自分が買い与えた「自転車」のことは触れることができなかったのだ。情感を交えた記事を山崎は書けなかった。山崎の記事に不満を抱いていた啓子だったが、最終的には彼のそんな不器用さを許す。
 山崎の件を通して、杉浦は新聞記者としての責務を改めてふりかえり、自分にしかできない「せまい隙間を見付けて生きていく」記者として「京の散歩道」再開を誓う。そして断酒宣言を撤回し、同じ下宿人で京都府警総務部長の大洞(北村総一朗)秘蔵の大吟醸酒を一気に飲み干すのだった。(仲村英一郎)

第1回(2007年1月11日放送)

☆☆★
 杉浦恭介(橋爪功)が帰ってきた!前シーズンでこのドラマも遂に終了かと心配していたが、京都日報に叩きつけた辞表はあっさり撤回したようだ。いかにも杉浦らしい展開に口元が緩む。早いもので、「京都迷宮案内」初回から数えて今回でなんと第9シーズン。もはや隠れた人気ドラマである。シーズンを重ねるにつれ、主人公の杉浦、そしてドラマ自体もいい意味でひねくれ度が増してきた。今や円熟期のドラマと言って過言ではないだろう。毎回のストーリーは、記者ものドラマにありがちな、スクープ合戦や声高に社会正義を訴えるものとは程遠い。自らの心のもやもやを晴らすためだけに毎回杉浦は京都の街を走り抜ける。それが大きな事件であろうとささいな出来事であろうと関係ない。商業主義に陥り本来の意義を失いがちなジャーナリズムへの警告、と言っては言い過ぎだろうか。
 初回は延長のない、通常の54分の尺であった。世間の風潮などどこ吹く風、という飄々とした杉浦をほうふつとさせて好印象。
 初回ゲストは中村敦夫、浅野ゆう子。遊軍新米記者・牧野(北村有起哉)の、社会正義を標榜する辣腕ジャーナリスト山崎(中村敦夫)への恨みにひっかかりを感じていた頃、山崎と中年女性(浅野ゆう子)の言い争う光景を目撃する杉浦。気になり始めると誰にも止められない杉浦の暴走(?)が始まる。(仲村英一郎)

新・京都迷宮案内

テレビ朝日系木曜20:00〜20:54
制作:tv asahi、東映
チーフプロデューサー:井土隆
プロデューサー:菊池恭、手塚治、小野川隆
脚本:西岡琢也
監督:黒沢直輔
音楽:池頼広
主題歌:『Season of love』倉木麻衣
出演:杉浦恭介…橋爪功、曽ヶ端渚…国生さゆり、円谷晋作…小木茂光、良成貞子…市田ひろみ、山崎信二郎…中村敦夫、林啓子…浅野ゆう子、牧野安雄…北村有起哉、石谷要介…岡本富士太、林清美…柳川慶子、牧野雄作…篠塚勝、城戸剛史…西田健、大洞浩次郎…北村総一朗、橘つた子…野際陽子