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ハチロー 母の詩 父の詩 (NHK総合月曜21:15〜21:58)
月曜ドラマシリーズ
制作・著作/NHK
共同制作/NHKエンタープライズ21
制作統括/安原裕人、峰島総生
原作/佐藤愛子『血脈』より
脚本/田向正健
演出/富沢正幸(1、2、4、8、9)、高橋陽一郎(3、5、7)、石原静雄(6)
音楽/坂田晃一
主題歌/『うた』月の203号室
出演/サトウハチロー…唐沢寿明、歌川るり子…鶴田真由、くみ子…松本明子、アイン…今井雅之、ハル…烏丸せつこ、節…西川忠志、江川蘭子…松尾れい子、三条…嶋崎靖、早苗…新妻聖子、愛子…柳沢なな、ユリヤ…金子さやか、鳩子…加賀美早紀、カズ子…松沢有紗、田上…信太昌之、小笠原…小磯勝弥、忠…篠原孝文、音子…桜川博子、四郎…大滝翔士、五郎…山田颯馬、まゆみ…林絵美、ユリヤ…永井杏、鳩子…守山玲愛、忠…江藤一輝、マリ…小林愛、ルリ…松田希、全五郎…角間進、運送屋…玉置千義、付き人…秦亜梨沙、写真屋…亀山助清、ハチロー(子役)…池松壮亮、節(子役)…秋山拓也、久(子役)…小清水一揮、徳永…山中たかシ、水谷…鬼界浩巳、鈴木真次郎…桐山浩一、山際巌…隈部洋平、看護婦…五月晴子、通夜の客…岩手太郎、付け馬…横山あきお・上村依子、マノン…江口ナオ、西崎…白鳥哲、アンパイア…寺門ジモン、山際さと…左時枝、鈴木悦史…鶴田忍、ユリヤ…松元環季、鳩子…諸星すみれ、ごぼう売り…橘家二三蔵、ボーカル…ブレンダ・ヴォーン&アージー・ファイン&ロビー・デンジー、子分…河西祐樹・濱本暢博・榎譲治、柳社長…田山涼成、倉野教授…斉藤暁、久…忍成修吾、大村重太郎…丹古母鬼馬二、福士良雄…井川比佐志、高倉美紀子…小川眞由美、シナ…原田美枝子、佐藤紅緑…原田芳雄、福士幸次郎…松方弘樹
ほか

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最終回「リンゴの歌だった」(3/21放送)
☆☆★
 焼夷弾も遠いと花火みたいにきれいだと屋根に登ってはしゃぐ蘭子(松尾れい子)は、奇妙な人々が集うこのドラマにあっては、珍しく裏表のないキャラクターだっただけに(ハイテンションの方向性はやはり変だが)、もう少し活躍してほしかった。ただこういう場面を見ると、どうしてもジョン・ブアマン監督の『戦場の小さな天使たち』あたりを思い出してしまって、焼き直し風にも映るのだけれど。
 逆に意外に大きい役だったのが三条(嶋崎靖)。その三条が屋根から落ちてケガをしたために治療してやる蘭子とのツーショットが、ふすま越しにはキスしているように見えたためにハチロー(唐沢寿明)が激昂して、といったあたりの笑えない重喜劇パートは終始一貫していて、ちょっとした名物的な趣もあった。アインシュタインが原子爆弾開発に参加している噂に、アイン(今井雅之)に変わって吠えまくるハチローと三条の二重唱もやっぱり重たい。
 アインの仇討ちにと意気込む重太郎親分(丹古母鬼馬二)と座長(小川眞由美)のヘビー級同士の打ち合いは、もっともこのドラマらしいテイストだったと言えるかもしれない。重太郎にだって口説かれたら悪い気はしないと言ってのける芸術家肌の座長が、遅ればせながら告白する重太郎をアンポンタン呼ばわりしてしまう何たる男前なことよ。敵機の飛来に空に向かって機関銃をぶっ放しながら徒死する2人の狂気には、ただただたじろぐしかない。
 同じく東京大空襲の最中、ハチローと蘭子は屋根の上で狂おしいほどにキスをし続ける。10万人もの犠牲、下町の焼失。原爆の投下。商売というより、女社長の愛人になって広島にお供していた節(西川忠志)の被爆。「ちいさい秋みつけた」のアカペラがいっそう寂しく響く。
 終戦を迎えるも翌日からの食糧難。すると早速、庭に種に植える蘭子のバイタリティはこのドラマの力強さの証。原点のギリシアにと威勢良く、ルネサンスを目論んでの力強い詩をハチローに依頼するめげない三条の泣き笑いには、空襲で家族全員を失ったことに対する国への、そして自らへの恨みがこもっていたのか。やはり三条はこのドラマの裏キーパーソンだったと再確認させられる場面だ。
 福士(松方弘樹)の兄・良雄役で井川比佐志が、福士の最期に登場。真っ赤な夕日に照らされて、「ありがとう」と言い残して死んでいく福士の謙虚さは、このドラマの慎ましさの象徴だった。油の抜けた松方弘樹がとてもよかっただけに、この詩人のことをもっと知りたかったという欲求不満が残る。
 終戦までのサトウハチローのドラマならば、「りんごの歌」で締めくくるのは極めて順当。そのりんごが自分のことだと言い張る面々におかし味があって、ちょっと救われた思いだ。(麻生結一)


第八回「勝利の日まで」(3/14放送)
☆☆★
 正統的なドラマツルギーの崩し方をどう考えるでこの作品の評価は天と地ほどの開きが出るか。福士(松方弘樹)が語り部だった第3回以来に、この第9回の語り部である蘭子(松尾れい子)も画面に向かって語りかけるスタイルをとっていた。このあたりを統一しない意図はよくわからないのだけれど、とりあえずは元気がいい感じでドラマに勢いが出ていた。
 戦争は激しさを増し、歌は軍歌の時代に。映画プロデューサーの三条(嶋崎靖)がざんす言葉から軍人言葉に変貌するあたりに、時代の変貌が色濃く映る。そんな変わり行く時代の中にあっても女は強しということか。3人のハチロー(唐沢寿明)の連れ子を育て、さらには2人の子供を生んだるり子(鶴田真由)のバイタリティにはただただ感服。最初はそういう肝っ玉母さん的なところからは、もっとも遠い人だったはずなのに。
 中学生二年生の忠(江藤一輝)が予科練に入ることを志願する。ハチローは土下座してやめるように説得するも、忠の決意はあまりにも硬かった。閉館になった劇場の楽屋では、アイン(今井雅之)が再び戦場に赴くことを宣言。アインシュタインというドイツ人が祖国を裏切ってアメリカに逃げたというのなら、アインはその名前を捨てて日本男児である小川喜三郎に生まれ変わり、自らの死をもってみんな不死身にするか。身辺整理につき、重太郎親分(丹古母鬼馬二)へプレゼントされたのは縁の下に隠してたチェコ製の軽機関銃って。近々死ぬにあたって、自分がどこから来たのかと問い詰めて、父親が重太郎、母親が座長であると聞かされるなり、感極まってその機関銃をぶっ放す。戦争を行くのに自分を飾るものがほしかったとのあまりにも悲しいが、その悲しさをアインの狂気が上回ってしまうあたりは意図通りなのだろうか。アインは戦地に赴いたのではなく北九州の空襲で死ぬあたりのアイロニーといい、そのことをすんなりと告げない福士といい(空腹で倒れてた?)、真っ直ぐの線は一本たりともないというのが、このドラマの身上のようだ。(麻生結一)


第七回「男は挽歌だった」(3/7放送)
☆☆★
 今回の語り部、およびメインは紅緑(原田芳雄)となり、よって先週のメインだった福士(松方弘樹)は登場さえしない。妻・ハル(烏丸せつ)の葬式にも、息子・久(忍成修吾)の葬式にも顔を見せなかった父・紅緑の人生などは何の価値もない薄汚いものとののしる節(西川忠志)に初のスポット。テレビ東京制作の『血脈』ではハチロー(唐沢寿明)以上の破天荒ぶりを見せていた節だが、ここではろくでもない三流雑誌とかニ、三行のエッセイとかじゃ食えないと生々しく語ったりする苦々しい人物として描かれている。
 一度猛り狂ったら何をしでかすかわからないるり子(鶴田真由)が長男の忠(江藤一輝)を連れ出して訪ねたのは、ハルピンやイルクーツクではなく甲子園の紅緑とシナ(原田美枝子)のもとだった。程なくして東京に戻るも、するとハチローは蘭子(松尾れい子)の家に帰る。それでもハチローとるり子はその後二児をもうけたというから、やはり偉人はやることが違います。
 紅緑の娘・早苗(新妻聖子)と愛子(柳沢なな)が唐突に登場しようとも、もはやそのことに驚きはしない。男の子と違って女の子はかわいくてきれいで華やいでいる天使のようだと行った途端に、早苗が喫茶店でタバコを吸ってた話が出てくるあたり、いかにもこのドラマらしいおかし味だ。二度とタバコを吸うなとの紅緑の説教の直後にまたタバコを吸っている早苗のそれは同義語である反抗と自由の象徴とな。
 連載の第1回目に苦労すると笑って電話で応対していたところから一転、手紙にて女性編集者から書き直しを言われて大爆発。先方に悪口雑言をぶちまけるも、それとて時代にそぐわなくなったと自覚していないわけではない紅緑の虚勢だ。
 紅緑の寂しさはハチローとの距離が遠いことだとシナに言われ、ハチローは紅緑を京都に招く。お座敷で芸者と一緒に「小雨の丘」を歌い踊るハチローを前に、泣き方でも追い越せないほどに豪快に泣く紅緑にしみじみ。ナレーションの空威張りがここに跳ね返ってくるわけか、なるほど。そして時代は戦争に。(麻生結一)


第六回「神様は貧乏だった」(2/28放送)
☆☆☆
 残っている中ではそろそろかと思われたシナ(原田美枝子)が今話の語り部で、導入部はくみ子(松本明子)が子供たちを置き去りしたその足でシナのもとを訪れるところから。こうして、ハチロー(唐沢寿明)の新しい家族の暮らしがはじまるのだったが、るり子(鶴田真由)と子供たちの衝突は絶えない。
 そんな折、蕎麦屋で福士(松方弘樹)が無銭飲食をしたとの廉により、ハチローは警察から呼び出される。浅草の顔役(単に警察にお世話になりっぱなしだっただけ)であるハチローの一声で無罪放免となった後は、円タクで送るとハチローは言うも、福士は浅草から豊島の長崎までのたったニ、三里の道のりは毎日だって歩いていると言い出したものだから、二人は歩いて福士の家へ。友情や愛情は歩いて生まれていた時代、いいですね。
 貧しい暮らしに拍車をかけるただ飯を食らう居候だらけの家の有様に、ハチローは福士を非難するが、自分を支えるということは、他人を支えるということであると切り返す福士。ここで自分のことしか考えていないハチローをたしなめる福士の含蓄がいい。もちろん、感傷的に泣いたからって、人間が変わることはないんだけれど。
 15年前の父島の思い出を語る場面が最高だ。これこそがドラマの余韻というもの。根太が落ちているところから見える筑波山、なんてエピソードにも心を洗われる思い。。一緒にまた透明なものを見ようと言う福士に、自分はすでに汚れてしまったと嘆き返すハチローが悲しいも、それとて才能という名の自業自得か。すでに初登場を遂げていた蘭子(松尾れい子)が初めてしゃべった回でもある。(麻生結一)


第五回「泣く日もあった」(2/21放送)
☆☆★
 今回の語り部はるり子(鶴田真由)だったが、るり子であるべき要因がどこにも見当たらないのは困りもの。久(忍成修吾)の死に対して随分とあっさりしている佐藤家の人々にどうかしてると思わざるを得ないところだが、そのあたりの事情はバッサリと省略されているので、感情から入り込む余地はない。このあたりはテレビ東京制作の『血族』では詳しく描かれていたので、そちらを参考資料的に補うとして、ってそんなドラマの見方は明らかにおかしいですね。
 ここの住人で唯一の良心的存在である福士(松方弘樹)が紅緑(原田芳雄)に語る佐藤家の子息分析が重たく響く。子供たちはみんな紅緑のようになりたかったのだ。しかし、才能は遺伝しないという残酷な現実がそこにはある。中では、30回勘当感動されて、父島に島流しにまでされたハチロー(唐沢寿明)はよく立ち直った?! しかし久は立ち直れなかったって、その突き放し方もまた随分だなぁ。やはり福士も一般的な良心からは遠そう。
 勘当の立場から表立っては渡しづらかったために、節(西川忠志)を通して毎月20円の仕送りを送っていた紅緑だったが、実際にはその金は節がことごとく着服。結局久のもとには一銭も届くことがなかったとは、その死は生活の困窮が原因だったと知るとあまりにも空しい。佐藤家は家族が多い上に、それぞれがよく住所を変えていたために実情を知るに難しって、そんなデタラメ家族ぶりを明らかにしてくれたソースは、あまり佐藤家にかかわりたくなさそうなさめた目線のるり子のナレーションによるもの。
 この第5回でもっとも目立っていたのは、戦場で負傷したアイン(今井雅之)の帰還。というか、そのアインを殺そうとする重太郎(丹古母鬼馬二)と助けようとする美紀子(小川眞由美)の父母対決の方。ヘビー級のお笑いが展開されていることは薄っすらと察しがつくも、その不気味さばかりに目がいってしまって、見ながらに怖気づいてしまった。

「何でお父さん、こんなとこにいるの?」

とハチローとるり子の居を訪れる子供たちの禁断の質問はよかったね。ハチローを捨てたら猛毒の蛇みたいに脱皮して、自分も捨てて女優になる宣言をするくみ子(松本明子)までもが破天荒に足を踏み入れて、ドラマ中に真っ当な人間が完全に姿を消すことになる。第4回の出来ばえには恐れ入ったが、この第5回はわかりづらいところだらけだった。(麻生結一)


第四回「桃の花が咲いた」(2/14放送)
☆☆☆
 なるほど、この第4回のナレーションはハチロー(唐沢寿明)の亡き母・ハル(烏丸せつこ)であった。これで福士幸次郎(松方弘樹)がカメラに向かって話しかけていた前回の納得がいく。振り返ってみると、第2回はくみ子(松本明子)のナレーションの回だった。これが絶妙というわけでもなかったので、第3回から唐突にはじまったように勘違いしてしまっていたが、つまりは回ごとに語り部が変更していくスタイルのようだ。ナレーションのなかった第1回は回想がらみだっただけに、ハチローの一人称だったってこと?
 父・紅緑(原田芳雄)ゆずりの才気を発揮して、小唄や流行歌の仕事が急に忙しくなったハチロー(唐沢寿明)は、収入が増えると同時に女性関係もいっそうお盛んに。映画女優・るり子(鶴田真由)の他にも、芸者・まゆみ(林絵美)は囲うは、ハチローの弟子である菊田一夫の恋人にして浅草レビューで舞台に立っていた女優・江川蘭子(松尾れい子)も横取りするはで、悪魔に魅入られているかのよう。
 最初の見せ場は、紅緑がハチローと別れるようにるり子を説得するべく訪れているところに、シナ(原田美枝子)も押しかけてきて、るり子とシナが初対面にして激突する場面。畳み掛けるように、その日からハチローと一緒に住むことになる末っ子の久(忍成修吾)が紅緑こそが毒を振りまいてきた張本人で、その罪は重いとののしる場面でさらに緊迫する。
 今回取り上げられるサトウハチロー作は「うれしい ひなまつり」。くみ子の家に帰ったハチローが、子供たちと一緒にひと時を過ごす、その幸せすぎる瞬間をかみ締める場面は、ドラマのハイテンションも和らいでしみじみとなるところ。
 いったい誰を愛すればいいのかと泥酔するハチローにアイン(今井雅之)が説教。ちなみに、アインの「アイン」はわけがわからないアインシュタインの「アイン」だった!アインシュタインというおじさんが発表したのは一般相(愛)対性理論=男と女の愛の組み合わせを算術にして理論で、その論に照らし合わせたアインの哲学が楽しいも、アイン自身は親分である重太郎(丹古母鬼馬二)の盾になって死ねなかったことを悔やみ、軍人になることを宣言する。アインの出征を祝う会で、

重太郎「小川喜三郎ことアインシュタインは……」

と紹介されるおかし味には、教科書的には何と言っていいのかわからないが、昭和的なロマンティシズムがムンムンしてる。
 今回初登場した、そしてのちのちの回では語り部になるやもしれない女剣劇の座長・高倉美紀子(小川眞由美)がド迫力。ドウラン汗まみれが怖すぎです。ハルの墓に一人手を合わせる久に語りかけるハルのナレーションがあまりにも悲しい。ドラマは実に高級に、実に面白くなってきている。(麻生結一)


第三回「恋に落ちた」(2/7放送)
☆☆★
 福士幸次郎(松方弘樹)がカメラに向かって話しかけるスタイルはこれはこれでありだろうけれども、どうして第3話から突然に?あと6話ある長丁場だけに(NHKのドラマにしては)、早々に軌道修正したのはある意味正しかったか。それにしてもこの破天荒と叙情の心とが溶け合う昭和的ロマンティシズムは、やみつきになるようでもあり、ちと騒々しすぎるようにも思える。裏(『不機嫌なジーン』)も十二分に騒がしいんだけど。
 昭和5年、ハチロー(唐沢寿明)に女の匂いを感じたくみ子(松本明子)がごぼうでハチローを袋叩きにしたのが先か後か、映画女優の歌川るり子(鶴田真由)との運命の出会い。ハチローとるり子の狂おしいほどの恋愛模様は、父・紅緑(原田芳雄)が脚本を担当した映画『麗人』の主題歌にしてハチローにとって初めての流行歌だった「麗人の唄」にのせて綴られる。
 父親が浮気をすると、やがてその子供も浮気をする傾向にあるとの福士の解説通り、少年時代の怒りや悲しさを忘れてしまったかのように、ハチローは紅緑がやったこととまったく同じ過ちをを繰り返すことに。父親の所業を無意識のうちにたどってしまうのは、まさに『血脈』のなせる業か。
 恋の道が険しくなれば、いっそう恋のしがいもあるものと、ハチローと一心同体のアイン(今井雅之)はくみ子はおろか、紅緑とシナ(原田美枝子)にもハチローの浮気を報告。一堂に会することとなった5人の攻防では、アインの論が一番面白かった。父親の不正義は、その子が同じ不正義を犯してこそ清められる。つまりは紅緑が清められたいのであれば、ハチローをとめてはいけない。清めのための罪を犯ささせれば、2つの罪は清められる、とのデラタメな理屈が素敵です。
 「麗人の唄」に対する紅緑の激昂は、このドラマと同じ原作でドラマ化されたテレビ東京制作の『血脈』とは微妙に違っている(否定的なのは同じだが)。ちなみに、こちらではアインの今井雅之は『血脈』では福士幸次郎役。『血脈』はこのドラマを補完する意味でも、実に興味深かった。(麻生結一)


第二回「なんでもやった」(1/31放送)
☆☆☆
 草野球チームのキャッチャーやったり、美大の学生たち相手に教室で洗濯屋を開いたり、はたまた七面鳥を泥棒して鍋パーティをやったりといった副題そのままの『なんでもやった』ぶりが、世の中にリンクできないハチロー(唐沢寿明)の焦燥感そのもののようでもある。差し詰めのエピソードがオフビートで埋め尽くされるほど、そのほんの隙間にナイーブさを見つけようとしてしまっていたり。
 ハチロー宅を訪ねて、詩集の出版を持ちかける柳(田山涼成)もまた、実際には父・紅緑(原田芳雄)が手を回した出版社の社長なのだけれど、それを実力と思うか否かは本人次第と紅緑が笑って言うあたりの苦々しさもあとを引く感じ。(麻生結一)


第一回「かあさん死んだ」(1/24放送)
☆☆★
 冒頭、何の前触れもなくカフェにいたハチロー(唐沢寿明)のもとに、母親・ハル(烏丸せつこ)の危篤を知らせる電報が届く。ハチローは家に取って返すも、妻・くみ子(松本明子)からハルの死を告げる新しい電報を手渡される。
 この冒頭のエピソードを見ていて、もしかして第1話を見逃してしまったのかもと思ってしまったほどに、説明的な部分はほとんどない。母の実家である仙台に向かう列車の中で、ハチローは10年前の少年時代を回想。ここでようやく全貌が見渡せるのだが、こういうソリッドな流れについていけなくなっているところに、わかりやすいドラマにすっかり慣らされているここ最近を深く反省した次第です。
 父親・紅緑(原田芳雄)が母・ハルを省みず、『人形の家』のノラを演じることを夢見ているシナ(原田美枝子)にうつつを抜かしたことで家族はバラバラに。子供が投石するエピソードはほのぼのしいものと相場は決まっているのだけれど、ここでの子供たちのそれは憎しみに満ち満ちていてちと怖くなる。
 テイストは月曜ドラマシリーズというよりも、かつての土曜ドラマ、もしくは水曜ドラマシリーズの趣。随所にエピソードが唐突に感じられるところもあるのだが、だからといって田向正健先生の脚本が唐突でなかったこともこれまでになかったわけで、だからこそ第2回以降にいっそう期待せずにはいられなくなる。
 唐沢寿明のハチローは現時点では相当の若年なのだろうから、微妙な違和感はこれから修正されていくはず。いずれにしても、童謡作家としてのサトウハチローのイメージを激変させるようなドラマになることは間違いないだろう。(麻生結一)




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